知識の無いところに空観は存在しない
人はみな
「実観」で生き
「空観」にたどり着く
そこまでが上座部仏教であり
そこから
「仮観」になり
「中庸」(中観)
になることが
大乗仏教だと解釈している
どちらが優れているとかではなく
どちらを選ぶか
「悟り」の到達点を過ぎていれば
「初転法輪」のチャクラが
廻り始める。
そうなると
「円融」
「観自在」
などの技術も使える
人は限られた知識の中で
空観を行っている
なので
【悟り】
にも幅が存在してしまう。
【知恵】
とは
【知識】の集合体を
活用、応用できることなのです
人は皆、違う世界を観て生きているのです
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