「唯物論」と「唯心論」
「我在るが故に、我思う」は、マルクスの唯物史観
「我思う、故に我在り」は、デカルトの唯心論
有名な言葉ですが
自分が存在するから、自分の心が在るのか
自分の心が在るからこそ、自分が存在するのか
釈迦がすでに2600年前に「われは考えて、有る」
と「唯心論」で、すでに説いていた言葉でした
キリストだと
「始めに言葉ありき」
こちらも唯心論に括られてしまいます
スティーブン・ホーキングのビッグバン理論は唯物論
(こちらは、簡単には括れない問題をはらんでいますが)
数百年以上前から、圧倒的天才たちが
交わし続けていた議論です
みなさんは、唯物論と唯心論
どちらが正しいとおもいますか?
量子論やストリングス理論が当たり前になった今
「波と粒子は両方同時に存在して観測者次第」
になぞると
「心と身体は同時に存在している」
と認識するのが現在の最適解ではないでしょうか
釈迦の悟った「空」とは
陰陽の陰と陽が存在している
「有」の対義語は「無」
「有」と「無」
その両方を包括する上位概念の事を
「空」
総てが存在する概念
(無も有も在るということを理解する事)
なのです
それを
「空」を悟る(縁起)
というのです。
余談ですが、いくつかのサロンで各サロンの傾向をみているのですが
それぞれが行動派のサロン、
リーダー以外は消極派なサロン、
傍観者ばかりのサロン、
自分は観測者だと勘違いしており傍観者でしかない人が多数のサロン、
綺麗ごとが多く妬みや嫉みが多いサロン、
自分だけが目立ちたいだけの感謝の少ないサロン、
自分ではない誰かの発信を横流しするだけの紹介ばかりのサロン
ノイズが少ない1次情報を自ら発信する人が多いサロン
みんなが感謝に溢れているサロン
2次情報3次情報であっても、自身の経験や知識を織り交ぜて
自身の最適解を発信する能力が高い人が多いサロン
純粋純心無垢で妖精のような人がいるサロン
どのサロンも、「行動派」、「消極派」、「傍観者」、「感謝」、「妬み」、
「綺麗ごとで本音は自分だけの人」「妖精のような純粋な人」の比率が全部違うので
サロンも様々だなぁと感じています。
どのサロンも面白く学びが多いので否定的な訳ではないので誤解なきよう。(笑)
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