戦は数寄者達の色の覇権争いでもあった時代
この記事にはフィクションとノンフィクションが融合している箇所があります。(史実とへうげもの・花の慶次などを含めた私独自の解釈有)
それぞれに違う「お点前」、色への拘り、数寄者への理解と演舞
- 漆黒の千利休・・・黒であることすら主張しない、そこにあるだけの色
- 純白の明智光秀・・・何も飾る必要はなく境地に至った色
- 金色の南蛮渡来の織田信長・・・派手を好み派手こそがステータスの傾奇者
- 上記3人の色にその時々に傾倒した古田織部・・・全員の主張に感動し理解
- 豊臣秀吉・・・漆黒を喪に服する色とし毛嫌い。信長のセンスを形だけ見習おうとするも、傾奇者ではなく、ちんどん屋的センス
千利休と明智光秀の目指した数寄
2人は究極に無駄を省き続け辿り着いた結論が真逆である純白と漆黒、白よりも追求し純白へ黒よりも追求し漆黒へしかし、茶の湯での作法は両方、傲りもなく客人にを感動与えた
二人の侘び寂び
- 利休は二畳前後の空間(茶室・茶器・空間)に統一感を持たせ無限の宇宙を感じさせ「偽らざる心」こそが尊いとし
- 光秀は自らの隊を労う時の具のない味噌汁に中庭に咲いた早咲きの桔梗と落ちている白石を洗い箸置きにしその様な飾りを質素の中に垣間見る美しさとして感じられる心を「侘び寂び」であるとした
互いの生涯 (終焉での侘び寂び)
光秀は辞世の句の5・7•5のみで、残りの7・7は蛇足であると言い残しその生涯を閉じる(こちらは史実とは違いますが(笑))
利休は切腹時の介錯人は弟子であったといわれてますが「侘び寂び」という言葉を「渋い」という一言にブラッシュアップさせその生涯を閉じた。
今の世を生きる私達への教訓
極めることは大切な事ではあるが、陰極まれば陽となる
純白(陽)に染まるも漆黒(陰・闇)に染まるも紙一重である
「何事も、過ぎたるは及ばざるが如し」
ではないでしょうか
ここまで黙って読み進めて下さった皆様へ、
私の独自解釈部分があるにも関わらず文句も言わず読んでいただいた上、
私の独りよがりに付き合っていただき、
心より感謝の意を込めて
あなたさまの読みいる作法、、、
結構なお点前でした
この言葉で締めくくらせて頂きます。ではでは。
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